安田式とエールの誕生STORY
偶然の重なりと7年の歳月を
経て始まった物語
平成21年 安田先生 × 吉川 靜雄
教材会社の代表として「熱中できる遊具」を探し求めていた吉川と、
「こどもと遊び」を追求された教育者安田先生との奇跡の出会いによって
「安田式」と「エール株式会社」の物語が始まりました。
7年かけてやっと実った運命の出会い
【吉川 靜雄(現会長、以下吉川)】先生と出会ったことが、私の人生を大きく変えました。人生を決めたといってもいいほどです。
【安田 祐治先生(以下安田)】私も同じですよ。あなたのおかげで、この年になっても情熱を持ち続け、こども達と関わり続けることができ、安田式遊具もますます時代にあった良いものに進化させることができました。 長年研究し続けてきた、0歳からの大脳神経の発達と運動遊びの理論に基づいた、低年齢児からの遊具づくりを完成させることが出来たんです。たくさんの園長先生との縁も広がり、数々の協力を経て具現化できた。
【吉川】先生との出会いは一朝一夕に実現したものではありません。 実は7年の月日を費やしてやっと出会えたものなんですよ。
【安田】そうでしたっけ。
遊具への疑問
【吉川】最初は昭和62年にさかのぼります。当時、私が遊具でこどもがあまり遊んでいないという現実に悩んでいました。園長先生に聞くと「最近のこどもはそんなもんです」との返事。でも納得がいきません。
本当にこどものためになる遊具、遊んでくれる遊具とは何かを求めて、アメリカやヨーロッパの保育園・幼稚園の視察にも出かけましたが、私自身が納得できる遊具は見つかりませんでした。当時、並行して琵琶湖の水汚染の問題から石鹸普及運動に関わり、環境問題にも取り組んでいました。環境問題をつきつめると、欧米より日本、特に江戸時代のライフスタイルにその解決策があることに気付きました。
19世紀の日本に多くの西洋人が渡来し、多くの見聞録を残しています。その中に、日本ほどこどもが大事にされている国はないと感心する記述があり、もしかすると私の求めている遊具は日本にこそあるはずだと思った時、現滋賀大学附属幼稚園の中井先生に出会い、「それなら、安田先生という方が月一回体育遊びの勉強会をされているので、参加されたらどうですか。」と声をかけていただきました。当然、すぐに申し込んだのですが、残念ながら断られてしまいました。
【安田】幼・保育園や小学校、大学の先生方の勉強会でしたから、道具業者が参加すると売り込みとかややこしいことが起きそうだったので、お断りしたのではないかと思いますが、実はよく覚えていません。
最初は講演会の聴衆として出会う
【吉川】私はよく覚えていますよ(笑)。それから2〜3年経ったころ、こどもの土踏まずが育っていない、転んでも手が出ず顔を地面で打つ…とのNHKのテレビ番組を見て、危機感がさらに募り、再び申し入れたのですが、またアウト。
数年後、我慢しきれず安田先生に直接電話したんです。業者だと断られると思い、ほかに経営をしていた書店の名前で、園で行われる講演を聴きに行きたいと申し入れましたところ、幸いOKが出ました(笑)。
【安田】取材か何かだと思って…。
【吉川】滋賀県の駅で待ち合わせ、一緒に園へ向かったのですが、入り口に知り合いの園長先生が待っていて業者であることがすぐに分かってしまいました。でも、先生は拒否なさいませんでしたね。
こどもの遊びと安全能力についての講演はまさに「わが意を得たり」。園庭でこどもと親を一緒に遊ばせる実践風景を見てさらに驚きました。初対面なのにみんな喜々として遊び始めたからです。すごい。「この先生は逃してはならない」と感銘、ぜひとも家まで送らせてくださいとお願いして京都市右京区のご自宅まで車でお送りしました。
車中1時間ほど、積年の想いを存分にお伝えしました。家に着いたら先生が「まあ、入りなさい」と。やっと関門が突破できたのです。
【安田】こんなに熱心に遊具にこだわり、熱く話す業者は初めて。 この人なら悪い人ではないし、話が分かる人だと思いましたね。
探し求めていたものはこれだ!と直感
【吉川】家に入り、研究室でお話を聞き、先生の研究を記録した8mm映像や600枚の図面を見て、「これだ!」と思いました。最も印象に残ったのは「公園の遊具と園の遊具は違う」との話。公園の遊具は安全第一。面白くないから遊ばない。極めて明快です。小学生が三輪車に乗れてもほめてもらえないし面白くもない。しかし、一輪車に乗れるようになるとほめてもらえるし面白い。
小さなケガはしても大きなケガをしない遊びの環境の中に面白さが潜んでいました。こどもの遊びの世界では安全第一は面白くない。リスクは必要だがハザードは除去する。私がそれまで売っていたのは公園の道具であって、教育用道具ではなかったのです。「なぜこども達が遊んでくれないのか」の長年の疑問が一気に氷解しました。
この遊具を広めるのは私の使命、人生での使命だと確信しました。この遊具なら日本はもちろん世界中の子育てにも寄与できると。何しろ日本は子育ての伝統のある国であるうえ、欧米にも安田式遊具のようなものはなかったのですから。
【安田】これまでこどもの目線で遊具を設計した人はいませんでした。
木製だから人に優しいとか、キャラクターや見た目のデザインが可愛いいとか、本来遊具に必要のないものに目がいき、その遊具で遊ぶことのない園長先生等の大人が判断して導入する。ここに大きな問題がありました。
また、人類学、霊長類学、体育学など様々な学問分野で人間の成長や遊びを研究していますが、こどもとの関わり、こどもの立場からの研究はほとんどありません。
体育学会でも、運動の原理は研究しても、運動によって「こどもを良くする」研究は数少ないものです。なぜなら皆さん学者であって、日々のこどもの生活と接していないからです。私は学者ではなく「職人」です。
教育現場を中心に日々こどもと接する中からノウハウと理論をつむぎ出し、こどもがすくすくと育つ環境づくりを追求しています。